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Clementが、帰って来た??


この秋、僕にとって注目するタイヤが愈々カワシマサイクルサプライから販売され始める。

イタリアのタイヤブランド、Challenge(チャレンジ)がそれだ。

かつて最高級・高性能として君臨していたハンドメイドタイヤ・・伝説のタイヤClement(クレメン)。

クレメンのタイヤ工場とノウハウを引き継いだのがチャレンジ社。

カタログデータを見るとオフロード用のGRIFO 32 SETA EXTRA まである。c0021554_15295559.jpg

かつてのクレメンには、このブロックパターンで20インチサイズのもあって、
少学生のBMX用に使った事があった。色々なタイヤカラーがあって可愛かった。

昔、トップレーサーの定番とされた「クリテリウム SETA EXTRA(セタ エキストラ)」を継承したタイヤもある。
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今回販売されるタイヤの中にオープンチューブラー??と言う名称のタイヤがあるが、これはWOだ。

宣伝文句!?!にチューブラーに引けを取らない!とある。これも注目のタイヤ。

こうしたタイヤの性能・乗り心地をより良くするのが、ラテックスチューブ。

高級タイヤの殆どが使っているインナーチューブ。c0021554_15362183.jpg

WOタイヤで、ラテックスチューブを使っている人は、その性能は御存じだろう。















僕は、700cのタイヤ外面がすり減ったものをばらしてチューブを取り出しミニベロ用に切ってボンドで繋ぎ使っている。
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ラッテックスチューブは、耐パンクにも優れていると思う。

チャレンジのタイヤ群・・・注目だ!
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by redhupa | 2010-10-30 15:40 | Bike culture

木リムが・・・!

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今年(2010)、Euro-Bikeで木リムを装備したロードレーサーがカタログで紹介されていた由。

あの高名な"Passoni"の中で紹介されている。
様々な仕様で・・乗り心地として卓越したBikeの中に、Ghisalloの木リムを選択していた。
「Passoniは(レッコ - イタリア)個性的なハイエンドの解決として特別に、
新しいモデルの最上位ジェネシスの2011製品カタログ内にフレームワークを完了するに際して要望にも寄るが、
要望に応じた色で木リムのセットを推奨している。
Passoniは、Ghisalloとのコラボで
”自転車を注目に値するものとして完成させた事は…栄誉でもある」と。

西欧の自転車界でも・・・新たに木リムの優位性をホビーレーサーに提言しているものだ。
最高に贅沢な仕様として・・・。

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我が師匠・・千葉洋三師の眼識の凄さ・・言葉を持てない。


















Ghisalloの工房は、ジロ・ディ・ロンバルディアのレーシングコースに近い、
あの有名な世界で唯一の自転車乗りの教会「マドンナ・デル・ギザッロ」
に向かってミラノをコモ湖方面に向かう。
途中ブリアンツァ地方の家具工房の集中するエルバという街の奥の奥、
もうすぐ山の頂上かという所にその工房はある。





木リムの製作工程を紹介してる映像は、下記の3篇。
http://www.youtube.com/watch?v=1hjCwav452s
http://www.youtube.com/watch?v=wFtgVfDu5Vg
http://www.youtube.com/watch?v=l79hjU1oWCg

貴重な映像であろう。
関心ある人には、見て頂きたい。
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by redhupa | 2010-10-27 13:17 | Bike culture

何となく秋に!!

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今年の夏は、、、酷った。それにもめげず良く走った!?!
走行途中で休んでいると、野の花に秋を感じる光景に出合えるようになった。
心休まる瞬間。これだから自転車走行は、止められない。



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最近、自転車仲間が、ジャージを作ってくださった。
Be Not Too Hard Club.
7名の仲間だが、60歳台2名、50歳台4名、40歳代1名。
仲間の条件は、50歳以上・・・だが「見習い」と称して50歳以下も
仲間の推薦があればOK(*^-^) ノ。
そんな仲間とグルメツアーと称してポタリングをしている。

仲間其々が、個性豊かなBikeで・・こだわりをもったバイクでポタリング。
実に楽しい。




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by redhupa | 2010-10-23 05:44

昭和は・・・遠ぉ~くなりにけり!?!



フランス菓子の名店「ルコント」が、2010年9月26日(日)に閉店した。

アンドレ・ルコント氏がお菓子や料理を通じて、日本に伝えたフランス文化。


彼のエスプリの効いた会話が懐かしい。c0021554_15124250.jpg
このケーキ、”パリ・ブレスト”は、ツール・ド・フランス(Tour de France)ゆかりのお菓子と聞いている。
ツールの前身レース(モデルになったレース)・・・
1891年にパリとブルターニュ地方の町ブレスト間で、 「パリ・ブレスト・パリ」(PBP)が行われた。
パリ~ブレスト間の約1200kmを90時間以内に往復する。

伝統菓子の名称の由来として諸説あるらしいが、このレースの開催を記念して作られたと言うのが有力な説。
パリのロングイユ通り(コース沿道)にあった「メゾン・ラフィット」という菓子店の職人、ルイ・デュラン氏が考案したと伝えられている。

※ツール・ド・フランスは、スポーツ新聞ロト(L'Auto・今のレキップ紙)がライバル紙に対抗して企画されたのが始まり。自転車レースを企画していた他社とは、ル・プティ・ジュルナルがパリ~ブレスト往復、ヴェロ紙がボルドーパリを主催していた。
この中で最も古いのが”パリ・ブレスト・パリ(Paris-Brest-Paris,PBP)、1891年に第一回大会が開催されている。このレースをモデルにして出来たのがツール・ド・フランス、つまりは、フランス一周レース。
仔細は別にして、こうした事を教えてくださったのは??40年年以上昔・・学生時代に。。。
当時、六本木に”ルコント”というケーキ屋さんがあって、オーナーのAndre Lecomteさんから教えて頂いた。
ルコントさんは、東京オリンピックの仏蘭西菓子シェフとして来日、以来,終生日本の仏蘭西菓子発展に寄与した方。
彼のエスプリに富んだ会話が懐かしい。ロードレーサーで訪れ2階のサロン・ド・テに来るものなどいなかったからか??頂いているケーキに色々と解説をしてくださった。それがこのケーキだ。※


リング状に絞ったシュー生地にクレーム・プラリネを挟んだ姿は、自転車の車輪をイメージしている!?!
上には、アーモンドスライスをたっぷり振りかけて。。。
又、上にアーモンドが無く中にクレーム・シブーストを使ったものはパリ・ニースと呼ばれている。
中に挟むクリームにも、イタリアンメレンゲを加えた軽いバタークリームを使ったり、カスタードを加えたり、シャンティを加えて軽やかにしたり。。お店によって、シェフによって、少しずつアレンジされて楽しい。
*パリ・ブレストそしてパリ・ニース共に現役のロードレ-ス*

ルコントのパリ・ブレストは、クレームパティシエールにバター、
プラリネ、シャンティー、イタリアンメレンゲも加えた、スペシャル・クリームだった。
”クレーム・パリ・ブレスト”としか言い様がないかも・・とルコントは解説していた。

手間がかかるためか、お菓子屋さんで余り見かけない。

今年、クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ(フランスの伝統菓子の継承や普及のための団体)が、
ツール・ド・フランスに合わせて7月にプロモーションして、
クラブ会員各店に”パリ・ブレスト”を店頭に登場させたとか。。。
多くは、プティガトーサイズだったり、
夏場に合わせて、シャンティー・オ・プラリネの軽いクリームだったりと、
シェフも時代の嗜好に合わせて、伝統をベースにしながら、
試行錯誤されていたようだ(友人情報)。。



・・・ケーキ好き・ツールファンには、溜まらない!!是非に、賞味してください。。

ルコントと云えば今一つ

Eufs à la neige souce anglaise (ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)がある。

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ルコントは、伝統的な菓子職人。ムッシュ・ルコントと言える風貌だった。
「ルコント」(店)は、1968年創業で、
日本で最初のフランス人によるフランス菓子専門店。

僕の好きだった、2つのケーキ・・・

Eufs à la neige souce anglaise(ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)
Paris Brest(パリブレスト)

六本木の小さなお店の2階・サロン・ド・テでの会話を思い出す。

パンも素晴らしかった。特にルコントのクロワッサンは、絶品だった。
日本国内で、あれを超えるものを食した事がない。
昭和は、遠くなりにけり・・・だねぇ!!

André Lecomte(アンドレ・ルコント)さんは、
1931年 フランス・フォンテーヌ・ブロー生まれ。13歳で菓子職人の修業を始める。
1956年 ホテル・ジョルジュサンクのシェフパティシエに就任。
1963年 ホテルオークラの招聘で来日。
1968年12月17日 六本木に日本初のフランス人パティシエのフランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。
1968年 フランス料理アカデミー日本支部創設のために尽力し、初代会長を務めた。
1978年 店舗を六本木から青山に移転。
1994年 「ブラッスリー・ルコント」を青山にオープン。
1999年 逝去。
その後は、奥様ががんばっておられたが、、、閉店を決断された。

僕等の青春・学生時代・・・フランスの街角にあったサロン・ド・テ
そのものだったケーキ屋さん。
懐かしく思いだすが、チョット淋しい。
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by redhupa | 2010-10-06 23:30 | 襍文化考